斎藤真由美さん

斎藤真由美

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1971年生まれ   東京都練馬区出身
ポジション レフト
身長 177cm    指高 230cm

1982年 練馬区立春日小学校に編入。小学5年生の時にバレーボールを始める。

1986年 中村高校に進学し1年生でレギュラーとなる。同年8月のインターハイで3位となるも、
「まだ若いから」という理由で国体の東京選抜のメンバーから外された事に抗議、高校を中退。

1986年 11月 イトーヨーカドーに入社。

1987年 2月 第20回日本リーグのダイエー戦でデビュー。

1988年 2月 16歳でソウル五輪の第1次候補選手に選ばれ「未来の全日本エース」
「バレーボールのゴクミ」と呼ばれる。

1989年 ソウル五輪には出場できなかったが、ワールドカップで全日本デビューを飾る。キューバ、
中国などの強豪チームを相手にエースアタッカーとして活躍。敢闘賞を獲得。愛くるしい顔立ちの少女が、
次々にスパイクを決めコートを駆け回り一躍スター選手となり、バレーボール人気を高くした。
またこの年度の日本リーグではチームの優勝に貢献し、最高殊勲選手に選ばれた。その後怪我に苦しみ、全日本に選出されるたびに、体を壊すようになる。 
     
1993年 交通事故に遭い事故以前の怪我とリハビリ期間を含めて4年近くバレーをすることができない状態が続く。

1996年 イトーヨーカドーの主将としてチームに復帰した。その後、ダイエー(オレンジアタッカーズ)
に移籍。

1997-98年 第4回Vリーグではチームを優勝へと導き2回目の最高殊勲選手に選ばれた。

1999年 5月 ダイエーからの分離により混乱が続くオレンジアタッカーズから、山形県天童市を本拠地と
するV1リーグ所属の東北パイオニアへ移籍。Vリーグ昇格という明確な目標を持ったチームが自分を必要とし、母が山形県出身という縁もあって下部リーグへの移籍を決断した。

1999-2000年 V1リーグで優勝。

2000年    小学校の先生と結婚したが、結婚前と同じ名字で選手活動を継続。

2000-01年  Vリーグへ昇格。 パイオニアレッドウィングスと改名したチームは成績を向上させたが、
自らは膝の状態の悪化などで苦しむシーズンが続いた。

2003-04年  選手兼任コーチとしてVリーグ初優勝を遂げる。

2004年 4月 現役を引退。同年6月、天童オルゴール博物館で4年越しの結婚式を挙げる。引退後は指導者を断念し、パイオニアに勤務しながら同チームの事務局長を務める。

2006年 7月 退任。

2007年 4月 山形放送で放送される朝のラジオ情報番組「グッとモーニン!!」に週1回、
       月曜日に出演し、レッドウィングスやVリーグなどのバレーボール情報を伝えている。

《主な戦歴》
1989年 ワールドカップ出場     
1989年 アジア選手権大会出場  
1990年 世界選手権出場      
1990年 アジア大会出場     
1991年 ワールドカップ出場   
2003年 天皇杯・皇后杯第52回黒鷲旗
      全日本バレーボール選手権大会 優勝
2004年 第10回Vリーグ優勝
2004年4月1日パイオニア・レッドウィングス退団

引退に至るまでにはドラマが…!
http://madomado.ms/Heart_Beat/past/who'sbeating/who's_040410.html

斎藤真由美さんは私がバレーボールを好きになるきっかけをくれた人です。たびたび斎藤さんを検索し、このブログに来てくれた人いたので記事を書いてみました。
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